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文芸

ISBN4-88978-050-5

柏原 紀久子著

A5判 300頁
予価2,600円

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二十世紀の良心 フランソワ・モーリヤック
―ヒューマニストとしての軌跡―

モーリヤックは一八八五年フランス南西部の都市ボルドーの裕福なブルジョワ家庭に生まれ、父は生後すぐに亡くしたが、敬虔なカトリック信者の母の手によって五人兄弟の末っ子として何不自由なく育てられた。
長じては持ち前の鋭い感性と豊かな感受性によって、片田舎のブルジョワ家庭を舞台にそこにうごめく人々の生活を通して人間の心理を観察し、その心の奥にひそむ秘密をあぶり出し人間の罪なるものに深い考察を行って数多くのすぐれた作品を著わした。
そして一九五二年には鋭い人間性洞察者としてノーベル賞にも輝いている。
このようにモーリアックは輝かしい経歴を持ち、日本でも遠藤周作はじめ多くの作家に影響を与え今なお少なからぬ読者を持つ著名な作家である。
しかしまた一方、彼は華々しい作家活動と平行して、社会の様々な出来事や政治に深い関心を持ち、折々に鋭い発言を行なってジャーナリストとしても活動し積極的に社会に関わってきた、つまりアンガジェした(社会参加した)作家でもあった。  
ところでモーリヤックといえば、その敬虔なカトリック信仰の強い影響をもつ作品群によって、あるいはカトリック信仰の強いブルジョワ階級の出であることによって、文学史上カトリック作家として、あるいはブルジョワ作家として分類されており、そうした面から彼の文学は今もなお論じ続けられている。
ところで彼についての論評はいつもこのように殆どカトリック作家として、つまり文学者としてのモーリャックに関してであり、今ではモーリャックはほとんど文学的な面でしか論評され手配内容に思う。
つまり彼のアンガジェした事実が背後に押しやられその影が薄れていくように感じられる。
しかし、彼を語るに当たってとりわけ彼の人間性、彼の本質を語るに当たって彼のアンガジェした事実そしてその内容を抜きにすることはできないのではないだろうか。
むしろ彼のそうした行動の中にこそ人間としての彼の真価が発揮されているように思われる。
彼のアンガジェした事実を追っていくとき、そこには偉大なヒューマニストの姿が立ち現れる。
その姿に接すると彼を単にカトリック作家として論じたり、あるいはまた一人のカトリック作家として文学史上にその名を留めておくだけでは余りにも残念であるような気がしてくる。
さらにまた、彼のアンガジェした足跡を追っていくと、そこに一作家であることを越えて二十世紀の時代を実に誠実に生き抜いた一人の偉大なヒューマニストの姿を見出すばかりではなく、また同時に、自ずとそこには二十世紀という政治的にはほんとうに愚かしい時代の全貌がたちあらわれてくる。
モーリャックはその時代に果敢に立ち向かいそして戦ったのである。
その姿を見るとジャーナリスト・モーリャックは二十世紀という時代の証人の一人であると同時に、二十世紀の良心の一つの確かな存在を証明していると思わないではいられない。
様々な思想や事件で満ちた二十世紀という時代の中で彼のような良心が存在したことを知りモーリヤックにあらたに感動をおぼえる。
したがって、ジャーナリスト・モーリャックはモーリャックの大きな部分をなしており文学者モーリャックと同じくあるいはもしかしてそれ以上に彼に大きな存在価値を与えていると言えるのではないだろうか。
モーリャックを理解し彼について語りたいと思うなら、ジャーナリスト・モーリャックを抜きにしては語れないのではないだろうか。
そして彼のこの活動を理解してこそ彼の文学もまたいっそう深く味わえると思うのである。  
本著では、こうした観点から、論じられることの少ないジャーナリストとしての活動をおもに取り上げ、そのヒューマニズムに満ちた精神の軌跡を追ってみたい。
そしてまたブルジョワとしてどのように生きたか、その実際の生活や考え方にも迫ってブルジョワとしての彼の立場を明確にし、所詮自分の階級に安住するブルジョワに過ぎないという批判に反論する。
あるいはまたその文学の中にもヒューマニストとしてのモーリャックの姿を探ってみる。
そしてこうしてモーリャックのヒューマニズムを多角的に捉えることを試みることによって、モーリャックが単なるカトリック作家という枠を超えて、二十世紀という時代をひたすら誠実に生き抜いた一人の偉大なヒューマニストであることを主張してみたい。
第一章では、アンガジェしたモーリャックの、いくつかの主な活動について具体的にモーリャックの行動や主張を見て行きながら、時には風見鶏と揶揄されたこともあったように、彼は一見その都度様々な相違した政治的立場に立って活動しているように見えるがしかし、彼の内なる精神は決して変わることなく常に一貫したものであったことを検証してみたい。
そして個々の政治的立場などに一切こだわりなく自分の信念だけに基づいて、時には怒涛のような時代の流れにも逆らってひとり真実を訴え戦ったモーリャックの、真にあるべきジャーナリストとしての姿を通して、彼の深いヒューマニズム溢れる精神を見出してみたい。
さらに第二章では、モーリャックは結局はブルジョワであり、自分の属するブルジョワ階級の擁護者であるとの批判に対し、ブルジョワ階級に対する彼の態度や社会主義者達との関係を検証して、ブルジョワとしてのモーリャックを貫いているのはヒューマニズム以外の何物でもないことを明らかにし、彼のブルジョワとしての立場が清廉潔白なものであることを確認してみる。
さらにまた第三章では、その文学の中にヒューマニストとしてのモーリャックの姿を探りその作品のヒューマニズム的側面に光を当てて、文学者としても彼はヒューマニスト作家と呼ぶにふさわしい面を十分持っているものであることを検証する。
最後に、モーリャックの疑念として指摘される精神と肉体との矛盾をとりあげ、この矛盾こそ彼をより謙虚にさせ彼のヒューマニズムをより深くならしめるのに寄与していることを示して、モーリャックの存在の重さを改めて確認し、彼に単なる一人のカトリック作家というレッテルを貼るだけでなく、つまり彼を文学者としてとらえるだけでなく、その枠を超えた偉大なヒューマニスト・二十世紀の良心の証人として捉え得る事を見てゆきたい。