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ISBN978-4-88978-088-8

坂本 照久著

四六判 224頁
定価 (本体1,600円+税)

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味は大和のつるし柿
―食育一代・田中敏子物語―

平成二十年五月十一日、土曜日の午前十時少し前、奈良市西木辻町の一角に建つ若羽調理専門学校の本庁舎一階講義室に、この学園の創立者で、先月十九日に九十一歳になったばかりの校長、田中敏子が矍鑠(かくしゃく)とした足取りで入った。
敏子が自ら発案して数年前から始めた「介護食」講座の、この日は年度始めの講義である。
初回だけは他の先生に譲らず、「なぜいま介護食なのか」を新入生にじっくり話しておきたいのである。
この日の生徒は、講座交流している佐保女子短期大学(奈良市鹿野園町)に学ぶ女子学生十数人。
敏子とは七十歳ほど下の曾孫(ひまご)世代であるが、教壇(といっても演壇があるわけではないが)に向かう敏子の姿を、一様に畏敬(いけい)のまなざしで見つめている。
正面の机の前に立った敏子。 一五五センチあった身長も、さすがに縮まってしまったが、背筋だけはシャンと通ってゆるぎない。
「みなさん、おはようございます。 みなさんとは、きょうが初めてのお勉強ですね」にこやかにあいさつする敏子の声は、とても九十過ぎのおばあさんのものとは思われない。
張りがあってマイクなしでも教室の隅まで響きわたる。
もともと、若い頃に小唄を習い名取にもなった声量の持ち主なのだが、口調によどみがないので、とても聴きよいのである。
諭し聞かすような講義ぶりは七十年以上の年季を持つものであり、年はとってもこれだけは誰にも引けを取らないと自負している。  
講義は、厚生労働省の担当課長に介護食講座の普及を呼びかけ、生徒が授業を受ける際の補助金交付を取り付け、全国で初めて講座を開始した経緯(けいい)から始まった。
やがて自らが体験した戦前、戦中、戦後の質素な食生活から、飽食の現在に至るまでの歴史を説き、さらに話は、その間につちかわれた食に対する独自の哲学におよび、最後はかわいい孫たちをさとすように訴えた。
「明るい家庭は楽しい食卓から。 これが、私がね、これからお母さんになっていかれる皆さんに一番分かってほしいことなんです。 お願いしますよね」 ここまで約一時間二十分。 時計は午前十一時を大きく回っている。  
この間、敏子は立ったまま。 一度も腰かけることがなかった。
もともとイスは用意されていないのである。  
次の講義の男性教師は、敏子の熱のこもった教えぶりに、時間の超過を告げるのを遠慮して教室の隅で待機している。
ようやく講義を終えた敏子に、 「だいぶ時間オーバーですよ、先生。 お疲れさまでした」 と、いたわるような、元気ぶりにあきれたような口調で微笑む。
「え、もうそんなに経ったん? それは、ごめんなさいね」 ついつい熱が入りすぎるのが、敏子の講義の常である。
常勤の教師が都合で講義を休むと聞くと、喜んでその代役を引き受ける。
すべての講座を熟知しているから、急なピンチヒッターなど苦にもしない。
現役校長として当然のことと思っているのである。