ジョン・ガワー (John Gower:1330?-1408) は 『カンタベリー物語』 (The Canterbury Tales) を書いたジェフリー・チョーサー (Geoffrey Chaucer:1340?-1400)、 『農夫ピアズの夢』 (Piers Plowman) の作者のラングランド (William Langland:1332?-1400?)、 聖書の翻訳を行ったジョン・ウィクリフ (John Wycliffe:1324?-84)と同時代の詩人で
ある。 ジョン・ガワーは存命中は詩人として、 道徳家としてよく知られていた。 彼は英国以外の国で詩人として認められた最初の英国の詩人であり、 『恋する男の告白』 (Confessio Amantis) は15世紀初頭にスペイン語、ポルトガル語に翻訳された。 彼は200年以上にわたりチョーサーと共に英国の中心的な詩人であった。
リドゲイト (John Lydgate) はガワーの技法を称賛し、 ルネッサンス期にはシェイクスピア (William Shakespeare) は 『ペリクリーズ』 (Pericles, 1607-08) を書く時に 『恋する男の告白』 の 「第8巻」 の 「タイヤのアポロニウス」 から構想を得たとされている。
ベン・ジョンソン (Ben Jonson
:1573?-1637) はガワーの表現の正確さを称賛し、 彼の著の 『英文法』 (The English Grammar) でどの作家よりも 『恋する男の告白』 からの多くの文を引用している。 ガワーは多くの作家に称賛されたことは、 ガワーの持つ多才な能力を示すものである。
ガワーは 『恋する男の告白』 という題の約33444行の長い詩を書いた。 この作品は枠
組みが設定されており、 その枠組みでは、 恋する男 (Amans) であるガワーが、 恋が成就
しないので絶望し、 恋の女神の Venus に祈りを捧げる。 Venus は彼女に仕える司祭の Genius に聴罪師にならせる。 恋する男は聴罪師に恋の悩を打ち明け、 想いを寄せる人に対
する態度を告白し、 聴罪師は恋する男に対して忠告をする。 その際聴罪師は 「七源罪」 (the Seven Deadly Sins) とそれから生じるいろいろな罪悪を述べ、 恋する男がそのような罪を犯していないかを問い、 それらの罪に関して告白させ、 助言を与える。 聴際師は七源罪について説明する際に、 例となる話 (exemplum) をしている。 その時の話は、 必ずしも七源罪に適しているものではなく、 その多くは古代ギリシャ、 ローマの作家の翻訳、 翻案であり、 聖書からの話である。 結局恋する男は Venus から恋をするには年をとりすぎて
いると言われ、 恋をあきらめ、 道徳の世界に戻る。
『恋する男の告白』 は恋する者の告白と、 それに対して人生の経験を積んだ者の説教という形をとっている。 しかし 「序」 はこの作品には相応しいものではなく、 ガワーは社会にはびこる悪を指摘し、 国情を憂い、 社会を批判している。 教会には 「傲慢」 と 「嫉妬」 がはびこり、 聖職者は堕落し、 「ロラードのような新しい分派やその他のいろいろな異
端」 (This newe Secte of Lollardie, ■And also many an heresie)(P. 349-50) が生じたと述べている。 愛が実践され、 正義が重んじられる社会の出現を願っている。 彼はそれをリチャード王 (Richard ■, 在位1377-99) に求めた。 ガワーはこの世の最大の悪は人間の心にあり、 人々の理性と善意、 キリスト教による慈悲が全ての悪を取り除くと考えた。 彼は宗教が矛盾と対立のある世界に安らぎと調和をもたらすと述べ、人々がキリストの教えに従って生活をするべきであると説いている。 彼は法と秩序、 道徳上の美徳やキリスト教徒の持つべき慈悲を強調している。 彼の権威に対する尊敬の念は、ローマ教会への信頼から生じたものであり、 世界の悪や不正に対する怒りは、 強い倫理観、正義感から生じたものである。
ガワーの作品はチョーサーの作品より社会のあり方を指摘し、 道徳上の主張はあるが、 チョーサーほど洗練されていない。 チョーサーは人間を生き生きと、 多様に、 柔軟に、 大胆に、 豊かな想像力により描き、 登場人物は飾り気がなく、 自由奔放な面がある。 そこには時代を先取りする斬新さがある。 一方、 ガワーはあくまでも伝統的な権威を尊重した、 保守的な詩人である。 伝統的な権威は、 いつの時代でも知的生産的は低く、 独創性を否定する傾向がある。
ガワーの英語は文法と語彙の面でチョーサーよりも保守的である。 例えば現在分詞の語尾の -end はチョーサーよりも多く使用されているし、 古い語彙を使っている。 『恋する男の告白』 は英語の構造を新たにするということはなく、 新しい詩形や詩の語法 (poetical diction) をもたらしてはいない。 しかしチョーサーの作品と同様に影響を与えたと
言える。 英語を書き言葉として確立するのに役だち、 イングランドで英語を使うことは当然であるという風潮を促した。 ガワーは大げさな言葉、 仰々しい、 勿体ぶった表現はなく、 その文はあくまでも簡潔である。 ガワーの作品はチョーサーよりも文学的な価値という点では劣っているが、 生存中は重要視されていたであろうし、チョーサーが忘れられた時にも高い評価を得ていた。 しかしその後チョーサーの作品の方が優れているとされ、 チョーサーは 「英国の文学の真の父」 (true father of English literature) と呼ばれるようになった。
本書はチョーサーから道徳家と呼ばれ、 保守的な心情を持ち、典型的な中世の詩人であるガワーの英語についてその一部をまとめたものである。 テキストは G. C. Macaulay 編、 The English Works of John Gower, EETS. 81, 82 (London:Oxford University Press, rep. 1969) を使った。 本書の訳は伊藤正義先生訳の 『恋する男の告解』 (篠崎書林) を使わせて頂いたし、 また参考にさせて頂いた。 また固有名詞の表記も上記の訳書を使った。 この訳書の解説にガワーの作品とガワーの経歴が詳細に書かれている。
本文中 CA は 『恋する男の告白』 で、 P は 「序」、 数字は 「巻」 である。 「巻」 の後ろの数字は行数で、その後ろにある*はガワーが訂正する前の作品の行数である。 なお PP. は 『ヘンリー四世に捧げ、 平和を称賛する詩』 (In Praise of Peace) を示す。 古期英語の eth, thorn の文字は th を使った。
「まえがき」より
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