今から四十年以上前、三重県立松阪工業高校に在学中、私に「落語で、古事記を演ってほしい」と仰った方があります。 それは、ユニークな授業で、わかりやすく国語を教え、落語研究会の顧問でもあった広田正俊先生で、私に日本古典文学全集の第1巻・古事記を手渡し、本居宣長と古事記の話もして下さいました。 昭和五十四年、二代目桂枝雀に入門し、長年、古典落語を演じながらも、中々、その機会には恵まれず、ようやく取り掛かったのは三十三年後、古事記編纂千三百年という、百年に一度の年を迎えた、平成二十四年です。 その年、各地の古事記に因んだ町は、様々なイベントを組んでいました。 私の住む三重県松阪市も、古事記伝を著した、日本を代表する国学者である本居宣長を輩出していますので、市を挙げてのイベントを楽しみにしていたのですが、残念なことに本居宣長記念館の催し以外、あまり目立った事業はなかったのです。 「こんな記念の年に、行政が動かないのは、どういう訳だ? それなら、個人的に何かをしよう」と考え、落語版『古事記』の上演を思い立ちました。 年一回の予定で、松阪コミュニティ文化センターで「桂文我の古事記を語る落語会」を開催したところ、お蔭様で、第一回目から好評で、第二回目からは、医療法人スワン・カイバナ眼科クリニック様の後援も得て、カイバナ眼科プレゼンツとして、今年で第九回目を迎えることになったことから、その中の六席分の落語を文章化したのが、本書です。 過去、上方落語界で、落語版『古事記』を演じたのは、私の大師匠・三代目桂米朝、学士噺家と言われた四代目桂文紅、スマートな高座を展開した二代目桂歌之助という諸先輩で、国造りから八岐大蛇まで、自身の工夫で、ユニークな世界を展開しました。 私の場合は、古事記を全て落語版に仕立て直そうと考え、毎年一席ずつ纏め直してきたのが、本書に収めたネタであり、出来る限り、わかりやすく構成したつもりです。 私以降に、落語版『古事記』を演じる者も出てきましたが、『源平盛衰記』『西行』などと同じく、地噺の形式で進めるだけに、古事記の厚みに負けない肉付けをしないと、話の広がりはあっても、深みのある落語にはなりにくいのは否めないでしょう。 また、古事記のストーリーも、八岐大蛇の後、因幡の白兎や、海彦・山彦以外は知られていない話が多く、時代が進むほど、面白味が薄れることも否めませんが、少しずつ、その古事記の森を押し分けて進み行くと、所々に見たことの無い光景が現れるのです。 今後も、牛歩ですが、落語版『古事記』を上演し続ける所存ですので、気長にお付き合い下さいませ。 あくまでも、落語で語る古事記の本であって、古事記の研究書・学術書ではありませんから、「肝心な部分が抜けている」「神様の名前の言い方が違う」「こんな冗談は、古事記に必要ではない」と思われる方も居られるでしょうが、そこは「古事記の入口の楽しみ方とすれば、こんな方法もある」という考えで、お許し下さい。 ご意見・ご質問は、出版社に手紙かメールで知らせて下さいましたら、私から丁寧に返答をさせていただきます。 また、教えていただけることがあれば、ネットの書評欄等に、「私の方が、わかっている!」という言い廻しで、匿名で書かれるのではなく、直々に教えて下さいますように。 古事記の落語はともかくとして、本居宣長記念館名誉館長・吉田悦之氏、相愛大学人文科教授の千葉真也先生、山本幸男先生に、新型コロナが流行する直前に、貴重な意見を伺うことが出来たのは、本当に幸運でした。 一ケ月後だったら、対談・鼎談のコーナーの掲載は不可能だったでしょう。 不思議な巡り合いや、偶然の助けにより、何とか形にすることが出来ました。
主な目次
一 日本の始まりの巻 二 大国主神の巻 三 国譲りの巻 四 天孫降臨の巻 五 海幸彦山幸彦の巻 六 神武天皇の巻
本居宣長記念館 名誉館長 吉田悦之氏 に聞く
相愛大学人文学部教授 山本幸男氏 に聞く 相愛大学人文学部教授 千葉真也氏 |