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ISBN978-4-88978-135-9
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桂 文我 著
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四六判 180頁
定価(本体1,500円+税)
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笑福亭松朝の上方演芸百年噺 |
戦前、四代目桂米團治に稽古を付けて貰い、戦中は従軍、戦地で落語もし、九死に一生を得て帰国。戦後は五代目笑福亭松鶴に弟子入り。この苦難の人生が、百歳を前に最後のご恩返しと、上方演芸の歴史を語る。
落語界一の歴史コレクターでもある桂文我が、その貴重な資料を同時に公開。当時の様子が甦る。
まえがき 平成三十年三月末頃、私の携帯電話の留守電に、「最近、大病を患いました。今後のことや、聞いてもらいたい話もあるよって、一遍、ウチへ来てもらえませんか」という、阪本俊夫氏の声が入っていた。
桂米朝師匠から「阪本さんは印刷の仕事をしてはるけど、戦前、ウチの師匠(※四代目桂米團治)に稽古を付けてもろて、戦後、五代目(※五代目笑福亭松鶴)の所へ弟子入りして、笑福亭松朝という名前をもろた」と聞いており、時折、我々の落語会にも顔を出して下さったり、サンケイホールの米朝独演会の打ち上げなどで、昔の思い出話を伺うこともあっただけに、「一体、何事?」と思った次第である。
「百歳近い御方だけに、自分の寿命を考えて、心細いことを仰っておられるのでは?」と思い、何はともあれ、昨年の四月十七日、住之江の自宅を訪れたところ、身体は弱っておられ、声も小さかったが、いろんな話をする内、顔に精気が漲り、生き生きとしてこられたのは、正直、驚いた。
「とても、今年の夏は越せんわ。良かったら、何遍も話をしに来とおくなはれ」と、心細いことを何度も仰ったが、戦前・戦中・戦後の上方演芸界の思い出が鮮明に蘇り、見事な上方演芸史になっていたため、瞬く間に話に引き込まれ、その後も興味津々で訪れている内、夏が過ぎ、秋になり……。
四代目桂米團治に習った落語を演じ、浪曲を唸り、軍隊の話、友人の思い出を語る阪本氏に、百歳近い老人の姿を見ることは無かった。
戦前の上方演芸界を語る時、何度も「あんたも見てなはるやろけど、あの人は面白かったな」と仰ったが、昭和三十五年生まれの私が実際に見ている御方は少なく、本・録音・映像でしか知らないだけに、相槌を打てないことも多かったが、阪本氏の物真似から推し量り、リアルタイムで接しているような錯覚を覚えたのも、不思議な体験だったと言えよう。
当時の思い出を語る阪本氏の脳裏に、当時の上方演芸界の逸材の姿が躍動していたことが、本当に羨ましかった。
阪本氏のインタビューは、四月十七日から始まり、五月十六日、六月十三日、六月二十七日、七月九日、七月二十七日、八月八日、八月二十一日、九月十一日、十月三日、十月二十八日と続く中で、当時の上方演芸界の思い出と、兵隊時代の苦心談を中心に、一冊の本に纏めた次第である。
思い間違いや、多少のズレはあるかも知れないが、百歳近い阪本氏が人生を吐き出すように語ったことは、後年の者が述べる理屈より、余程、値打ちがあると思う。
湧き出るように、そして、慈しむように来し方を語る阪本氏が、戦争に依って、噺家の道を断たれたことを語る時、唯一、本当に無念の表情だったことは忘れられない。
「平和な時代、噺家になり、今も稼業としている私は、何と幸せであろう」と、改めて、痛感した。
阪本氏の語りの中から、その無念さ、噺家の世界への思慕を感じていただきたい。
今後とも阪本氏の命が続く限り、しつこく訪れ、思い出を聞く所存である。
なお、本書において、全ての方の敬称を略さず、生前、お目に懸かった師匠連だけは「誰々師匠と表記したことや、阪本俊夫氏が戦後の短期間、戎橋松竹や地域寄席へ「笑福亭松朝」の芸名で出演していたことは事実だけに、阪本俊夫ではなく、笑福亭松朝が述べているとして纏めたことを、ご理解願いたい。
主な目次
はじめに
笑福亭松朝
阪本氏、噺家を諦める
戦地の思い出
噺家との付き合い
阪本氏、浪曲を唸る
戦前の演芸見聞録 1
戦前の演芸見聞録 2
作家・永瀧五郎
浪曲と夏場の寄席
古本と写真
再び、戦地の話
復員後
ミナミの花月の思い出
キタの花月の思い出
吉本の雑誌『笑売往来』
お茶屋の思い出
上方はなし 上
上方はなし 下 |
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