|
ISBN4-88978-117-5 |
田中 英夫著 |
四六判上製 670頁
定価(本体3,200円+税) |
|
|
|
明治から大正にかけて、損得を度外視し、良書を出すという、出版の理想に身をささげた人物の物語 |
|
洛陽堂
河本亀之助小伝
損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯 |
一九一一〔明治四四〕年一月一八日、大審院において幸徳秋水ら二十四名に死刑判決が下された同じ日に、洛陽堂は山口孤剣『明治百傑伝 第壹篇』を出版した。山口は、社会党がとりくんだ東京市電車賃値上反対運動による兇徒聚集事件で一年半獄中に在った。一〇年一月に刑期を終えたものの職はなく、幸徳に相談して平民社以来保ってきた縁を絶つことで、ようやく雑誌社にもぐりこめた。そうして執筆した評論をまとめた著書だった。洛陽堂からはこの年に、山口より半年長く獄中に在った西川光次郎の著書も出版した。西川は、幸徳らが捕えられたあと、運動から離れる宣言書を出版していたが、山口とともになお尾行をつけられる身だった。 初の社会主義政党創立者でありながら、運動から離れたためにただひとり伝記を著わされなかった西川と、一時期運動から離れたのち戻りながら、筆一本で暮らしを立てるために新聞雑誌記者で終わった山口の生涯をたどってみて、気になってしかたがなかったのが、洛陽堂主河本亀之助〔こうもと かめのすけ〕だった。 創業一年余りしかたたぬ出版業者として、手をひろげるゆとりがさほどあったわけではない。竹久夢二の画集があたりをとったとはいえ、価は一冊五十銭、増刷を重ねるにしろ、千部きざみにすぎない。一世を風靡したと伝えられるけれども、一説に百万部といわれる『西国立志編』や、『学問のすゝめ』七十万部とは、そもそも桁が二つも三つもちがった。名義発行元となった雑誌『白樺』はといえば、まだ歩みがおぼつかない。負債をかかえてあくる年には千円に達したがために、同人は経営を洛陽堂へゆだねるにいたる。さらにもう一誌、『良民』を創刊するのが一一年紀元節で、内務官僚の支えをえて青年団運動をすすめる山本瀧之助が主宰した。こちらは二十頁ほどで一冊十五銭、良民社を別におこしてこれから育てようとする時期であった。
著訳書が語られるとき、出版社名は出る。夢二画集は洛陽堂が出版した、白樺叢書も洛陽堂が出した。しかし出版者はついでのあつかいで、どんな人物だったかまで言いおよばれたりはしない。出版業そのものが裏方であった。山本夏彦が示したとおり岡茂雄『本屋風情〔ふぜい〕』には、まえがきに書名の由来が記されており、塙作楽『岩波物語』には、かつて白樺同人であった小説の神様に、帝大を出たのになぜ本屋の丁稚なんかになったのかと言われた逸話がおさめられている。こちらは敗戦後の話だ。さかのぼれば、丁稚、小僧、車夫、馬丁、下婢、下女なんぞ当たりまえに呼びすてられた時代であった。四民は平等ではなく、華族と士族と平民には別があり、官と民にも別があり、官には勅任、奏任、判任といった別があり、藩閥以外から抜擢されると新聞種になる、そういう時代だった。 当時の人名辞典に河本亀之助は出てこない。平民は金を払って載せてもらう側だから、頼まなかったようだ。出版にかぎった人名辞典はどうか調べると、当時も今も名がない。同業者小川菊松が書いた『出版興亡五十年』に、今はない出版社として洛陽堂がとりあげられたわけは本文で明かすとして、なお亀之助その人に筆はおよんでいない。略歴をとどめるのは郷里広島県『沼隈郡誌』だ。
河本亀之助 慶応三年十月二十一日今津村に生る。幼にして同村大成館に学びしが、在学中学大いに進み小学校助教となり今津・松永・高須等に教鞭を執る。後今津郵便局の事務員たりしが、明治二十四年如月二十七日奮然として東都に出づ。上京当初は牛乳配達、新聞売子等の苦役をなせしが、国光社印刷所の設置せらるゝや入りて雇となり励精怠らざりしを以て年と共に要職に挙げらる。明治四十一年故ありて退社、翌四十二年千代田印刷所を創設せしが同年末洛陽堂と命名して出版業を始め今日の大を致す。大正九年十二月十二日日本赤十字病院に逝く。享年五十四。
小学校助教、牧牛、新聞売子、印刷工、千代田印刷所、洛陽堂と、すべてに関わるのが、江戸福山藩邸に生まれた高島平三郎だった。亀之助が兄事した二歳年長の高島は、小学校卒にして心理学児童学者として立った。高島は亀之助を、「将来見込みのあると云ふものには、自分の財産を投出してもやると云ふ人である」と評した。山本瀧之助は、「無名の士を社会に紹介したい」という亀之助の言葉を伝えた。トルストイ紹介者として知られた加藤一夫は、「損得を超越して無名の士を紹介することを楽しみとする種類の人だつた」とふりかえった。そのとおり亀之助は、在学中だったり卒業したばかりであったり、内務省嘱託であるような、若い人々の著訳書を出版した。しかしながら、もうけを度外においた出版業は綱わたりだった。加藤は「洛陽堂から印税をまともに払はれたことはなかつた」といい、商売が上手ではなかったと重ねる。亀之助の出版事業をめぐって関わりをもった人々が、つながりを断つか、保つかをわけるのは、そこにかかる。 歯がゆいのは亀之助が書いたものはほとんど残されていないことだ。十数年にわたる日記は、亡くなる直前まではあったとされ、追悼録にぬき書きされたものの一部に限られた。亀之助自叙にもとづく記述は、本書の一割どころか、一分、一厘にもおよばない。ほとんどを、印刷や出版を通じて亀之助とつながりをもった人々が書きとどめたことやできごとを、寄せ集めつなぎ合わせてつづった。小えびを大きな衣で揚げていながら、えび天だといつわるのを予めことわっておく。 |
一章 離 郷
一 備後国沼隈郡今津村 1 幕末 2 明治四年大一揆 3 私塾大成館 4 小学校助教 @高島平三郎 A今津 松永 高須 5 高島東遊 二 離郷 1 キリスト教信仰 2 離郷 3 牧夫 4 新聞売子 5 移民申込 6 書生
二章 印刷業
一 国光社印刷工 1 創立者西沢之助 2 印刷部 3 経世社併営 4 小学校教科書出版 5 築地移転 6 印刷業組合加入 7 東京活版印刷業組合 二 株式会社改組 1 経営の転機 2 改組と日本女学校開校 3 日本労働者懇親会 4 印刷工慰安遠足 三 社長交代 1 社長橋本忠次郎と高瀬真卿 2 『女鑑』続刊 3 社業再編 国光書房 4 小学校教科書事業 5 結婚 6 通俗宗教談発行所 7 週刊『平民新聞』印刷受注 四 亀之助の裁量 1 社をめぐる紛紜 2 山本瀧之助『地方青年』 @沼隈の青年山本瀧之助 A亀之助とのつながり B国光社刊『地方青年』 3 週刊『平民新聞』堺美知追悼記事 4 小泉三申主宰『経済新聞』 5 週刊『平民新聞』筆禍 6 印刷器械没収余波 7 亀之助と平民社をめぐる人々 五 国光社退社 1 金尾文淵堂主 金尾種次郎 2 金尾文淵堂店員 3 店員中山三郎と国光社 4 仏教大辞典予約出版の頓挫 5 辞表提出 6 俊三と獅子吼書房 7 『出版興亡五十年』代筆者中山三郎 六 千代田印刷所 1 創業と金尾種次郎 2 印刷発注者
三章 洛陽堂草創期 一九〇九年〜一九一一年
一 洛陽堂顧問高島平三郎 1 創業前の著書 2 つなぎ役 3 創業後の編著 二 初出版 山本瀧之助『地方青年団体』 1 山本と内務省 2 青年団中央機関 3 出版交渉 4 初出版 5 出版以後 三 竹久夢二 1 投書家時代 2 『直言』投稿と国光社 3 竹久と国光社 @月刊『スケツチ』 A『ヘナブリ倶楽部』 B『法律新聞』 C早稲田文学社『少年文庫 壹之巻』 D社会主義諸誌 E国光社発行雑誌『女鑑』 F竹久と『絵葉書世界』三好米吉 4 『夢二画集 春の巻』 @出版 A売行き B反響 四 『白樺』名義発行元 1 創刊 2 同人による経営 3 無印税 武者小路実篤『お目出たき人』 4 広告と紹介記事 5 宣伝誌週刊『サンデー』 五 『夢二画集 夏の巻』から 1 夏の巻 出版遅延 2 番外企画 花の巻と旅の巻 3 帳尻合わせ 秋の巻と冬の巻 六 大逆事件前後 良民社創業 1 山本瀧之助編輯『良民』創刊 2 良民社刊『親と月夜』 3 良民社と松本恒吉 @松本家農場 A亀之助夫妻と松本 4 山口義三 5 良民文庫 良民講話 6 西川光二郎『悪人研究』 7 『良民』山本と天野藤男 七 大逆事件前後 竹久夢二 1 平民社と竹久夢二 2 新企画 @『夢二画集 野に山に』 A『絵ものがたり 京人形』 B柴田流星 C初の発禁 柴田著竹久画『東京の色』 D共著画文集 八 東京書籍商組合加入
四章 俊三と千代田印刷所 一九一二年〜一九一三年
一 夢二人気のかげり 1 引き潮と予約不履行 2 印税をめぐるゆきちがい 二 夢二画会 1 竹久夢二と展覧会 2 第一回夢二作品展覧会 3 ブルックリン美術館キュウリン 4 第二回展 5 第三回展 6 夢二画会事務所と第四回展 7 夢二画会の頓挫 三 雑誌『白樺』経営 1 経営委任 2 白樺叢書 3 価格設定のゆきちがい 4 原稿紛失
五章 洛陽堂印刷所改称以後 一九一四年〜一九一六年
一 白樺同人をめぐる人々 1 木村荘八 @美術評論 AR堂主人 B福士幸次郎『詩集 太陽の子』 C木村荘八岳父 福田和五郎 2 加藤一夫 @『ベェトオフェンとミレエ』 A主宰雑誌『科学と文芸』 二 永井潜をめぐる人々 1 永井潜 @永井と高島平三郎 A亀之助と永井 2 書生 小酒井光次 3 書生 児玉昌 4 児玉の友 津田左右吉 三 公刊『月映』 1 『良民』さし絵と月映同人 2 『月映』前史 3 公刊『月映』 4 売りこみ @諸紙誌広告 A配本 集金 5 反響 6 創刊以後 @印刷事情 A亀之助への謝辞 B月映社作品小聚と告別七輯 7 田中恭吉遺作集 四 亀之助と加藤好造 1 経営難と宇野浩二の回想 2 『泰西の絵画及彫刻』 3 『縮刷 夢二画集』 4 蜻蛉館書店加藤好造 @加藤と宇野 A加藤と洛陽堂図書装本 5 哲夫帰国と加藤古本店主人 五 『都会及農村』 1 亀之助と天野藤男 2 創刊準備 3 天野による編輯 @投書募集 A都会非難 B鋒先と筆致 六 山本瀧之助と一日一善 1 一日一善 2 後藤静香
六章 雑誌経営の転機 一九一七年〜一九一八年
一 『都会及農村』編輯者交替 1 洛陽堂主河本亀之助「本誌の改善に就て」 2 新編輯者山中省二 @原阿佐緒 A三ケ島葭子 倉片寛一 B婦人欄創設 C水町京子 D亀之助と柳田国男 二 『白樺』経営辞任 1 ゆきちがいの近因 @有島武郎著書出版 A特価販売 2 ゆきちがいの遠因 3 経営辞任後 @引きつぎのゆきちがい A白樺同人の著訳書と洛陽堂 4 『泰西の絵画及彫刻』続刊と木村荘八 三 『科学と文芸』経営引きつぎ 1 トルストイ民話集 2 一九一七年の『科学と文芸』 3 『土の叫びと地の囁き』発禁 4 洛陽堂経営『科学と文芸』 5 『土の叫びと地の囁き』改版と半年間の『科学と文芸』経営 6 加藤一夫をめぐる人々 @中山昌樹 A上澤謙二 B山本秀煌 C龍田秀吉
七章 亀之助経営の最後 一九一九年〜一九二〇年
一 吉屋信子 1 亀之助とつないだ人物 @沼田笠峰 A高島平三郎 2 大阪朝日新聞懸賞小説「地の果まで」 3 『地の果まで』洛陽堂版と新潮社版 4 絶版事情 吉屋信子をめぐる人々 5 吉屋にとっての稿料印税 6 出版者と著者 木村荘八の場合 二 『良民』終刊 1 井上友一急逝 2 『良民』終刊 3 見舞 三 葬儀・追悼 1 麹町教会 2 追悼録 @関寛之 A永井潜 B高島平三郎 C帆足理一郎 D恩地孝四郎 E竹久夢二 3 山本瀧之助 4 武者小路実篤 5 今津村における追弔会
八章 歿 後
1 後継 洛陽堂・洛陽堂印刷所 2 一九二一年 洛陽堂をめぐる紛議 3 洛陽堂の一九二一年 @東京まこと会 A創業十五週年紀念特価販売 B破産 4 一九二三年 震災 5 津田左右吉事件 @前ぶれ 森戸事件 A津田左右吉事件
|
|