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ISBN4-88978-023-8 |
田原 八郎著 |
四六判 288頁
定価 (本体2,000円+税) |
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渡世民俗の精神 遊女・歌舞伎・医師・任侠・相撲渡世の近現代史 |
太閤検地によって列島の大地の生産力の総計が一千八百五十七万石とされ、徳川幕府三代将軍家光の政権下では約三千万石にまで増産されるようになったと言われている。 しかし、それだけの食糧生産力では扶養しきれぬ人口が、農耕生産者の生活世界の外部に弾き出されていった。
彼らは、土地を合法的に保有することができなかった。 列島の大地から弾き出されても、列島の大地の上で生存を保たねばならない。 それが鎖国下のこの国で、土地を保有せぬ人々の宿命であった。 そうした宿命が、彼らに放浪の生活を強いた。
農耕生産者たちを囲い込んだ生存世界が、士農工商という閉じた社会を形成した。 士農工商とは内部の身分秩序であるよりもむしろ、外部に対する社会障壁なのであった。
武士は領主権によって大地に結びつき、農民は耕作権によって大地に結びつき、職人は作業所での営業権と生活権によって大地に根づき、商人は店舗での営業権と生活権によって大地に根づいていた。
ついでのことながら、天皇・貴族・寺社その他の神事職能者群は、畿内近国の邸宅や領地、それに全国の寺社領地に根づいていた。
士農工商や天皇・貴族・寺社その他は、それぞれに列島の大地に結合していたのである。 日本の大地のどこかに根づいて、生涯そこを離れることがなかった。 彼らは生涯一つところに滞在していたのである。つまりは一生涯を一つの世間で送った。
この意味で彼らを「滞世の民」ということができる。
上記のように列島の大地から弾き出されても、列島の大地の上で生きることを強いられた人々の群れがあった。 放浪を宿命づけられた彼らは、世間を渡りながら生涯を送らねばならなかった。 つまりは、世渡り人だったのである。
この意味で彼らは「渡世の民」と呼ばれていた。 農耕生産者や神事職能者の風俗の根本が「滞世」だとしたならば、その外部にはじき出された人々の風俗の根本は「渡世」だということができる。
農耕生産者は近世の初頭に自己の生存世界の囲い込みを完了した。 それによってその生活圏から神事職能者群を弾き出した。 それは前記の「渡世の民」の弾き出しと表裏一体となった歴史的進行なのであった。
これによって江戸期と呼ばれる日本近世には、人々の生き方の三つの風俗が鼎立することとなった。
神事祭礼を生産手段とする人々は、「神と人の関係」への配慮を生活風俗の根幹とした。 農耕を生産手段とする人々は、「人と人の関係」への配慮を生活風俗の根幹とした。 そして己の頭脳と身体のみを生産手段とするほかなかった人々が、「自分自身」への配慮を生活風俗の根幹としたのである。
考えてみればこれら三つしか、人の生き方の原理が存在しないのもまた事実なのだ。 すなわち、生きかたの三つの原理がそれぞれの生存世界を形成したということなのである。生き方の三つの原理とは、すでに哲学のテーマである。
哲学を専攻してきた著者がこの本を書いた理由が、このあたりにあることを理解してもらえればさいわいである。
人々の生活風俗を「民俗」という。人々の生き方の風俗が三つあったとしたならば、三つの民俗が存在していたことになるだろう。 だとすれば、日本近世には三つの民俗が鼎立していたことになる。 日本社会がいくつの「民族」の複合体であったかはとても特定できることではない。 しかし日本社会は、たしかに三つの「民俗」の複合体なのであった。
生涯を一つ所で過ごす人々の生存の原理が「滞世」であり、生涯を一つ所で過ごすことを許容されぬ人々の生存の原理が「渡世」だとしたならば、前者の生活風俗を「滞世民俗」と呼称し、後者の生活風俗を「渡世民俗」と呼称することができる。
しかしこれだけでは、農耕民と神事職能民の生活風俗を区別することができない。 それゆえ農耕民のそれを「農耕民俗」、神事職能民のそれを「神事民俗」と名づけた。 神事民俗と農耕民俗と渡世民俗とが、江戸期を通じて鼎立することになったのである。
中世から近世にいたるながい歳月をかけて農耕民俗が神事民俗を弾き出した。 近世初頭に農耕民俗が形成した、士農工商というハードルの高いバリアによって弾き出された流浪の民が、渡世民俗を形成した。
近世幕藩期をつうじて、これら三つの民俗が相容れ合うことはけっしてなかった。
三者それぞれの根本にはそれぞれの思想があった。 「神と人の関係を生きるための思想」が天皇神学として存続し、「人と人の関係を生きるための思想」が江戸期の家の倫理を帰結し、「自分自身を生きるための思想」が渡世集団のそれぞれのアイデンティティーのテーマを創出した。
遊郭・花柳界や歌舞伎渡世が「恋愛」を、博打渡世が「勝負師」を、任侠渡世がゴッドファーザー率いる「家族」を、一匹狼の渡り鳥は「孤高」を、医師渡世は「生命」を、魚屋渡世は「生きのよさ」を、相撲渡世は「力」を・・・などなど。
著者が本書でいちばん主張したいのは、相撲渡世が江戸後期・明治期をつうじて「力」というテーマを追求する過程で、強豪横綱に託した独自の「超人思想」を創出したという物語である。 博打の対象でしかなかった相撲渡世の人々が、やがて全国の奉納相撲の行司総領家たる吉田善左衛門家と徳川将軍家を権威として横綱力士を創出し、明治二十三年に横綱が番付上の地位となり、さらに明治四十二年には横綱が最高位である旨の明文化がなされ、あわせて場所ごとの優勝制度(チャンピオンシップ)が導入された。
その直後といってよい明治四十四年に第二十二代の横綱となった太刀山峰右衛門が、横綱不知火陣右衛門いらい絶えていた「不知火型手数入り」を遂行した。 この不世出の強豪は十二場所中九場所の優勝(五連覇一回・四連覇一回・全勝五回)といった圧倒的な記録を残した。 しかし、以後昭和十九年の横綱羽黒山まで三十五年のながきにわたって、不知火型手数入りが土俵から消えることとなった。
第二次世界大戦の終結後に、ほぼ十年から七年の間隔をおいて不知火型の手数入りを行う横綱が制作されたが、すべて短命に終わった。 吉葉山・二代玉の海・琴桜・隆の里・双葉黒・旭富士・三代若乃花の七名である。
そうしたことがこんにち「不知火型横綱のはなぜ短命なのか?」という謎を生んでいる。
そうした謎の解明に挑むのもまた、本書のめざすところである。
相撲渡世集団が不知火型にこめられた自己主張のイデオロギーを、体制社会から隠蔽せねばならなかった。
どのように隠蔽され、なにゆえに秘匿されねばならなかったのか? その隠蔽と秘匿のあいまをぬって、不知火型がどのように表明されねばならなかったか?
それが本書のテーマである。不知火型は相撲渡世集団の「隠された十字架」だったわけである。
思想とは反体制であるからこそ「思想」の名に値する。 体制にそった思想など言語矛盾にほかならない。だとすれば徳川幕藩体制という磐石の体制から弾き出されていた渡世集団のアイデンティティーの表明こそはまさに、思想の名に値するものであると考えるのである。
渡世の民は、消費と投機の経済による裏社会を形成していった。 大名・旗本や商人といった表社会の支配層から花柳界・遊郭・博打場・・・といった裏社会に金銀が流出していった。 構造的にいって、裏社会に流出した金銀が表社会に還流することはなかった。
その結果、士農工商では金銀の減少が止まず物価が下落しつづけるという、デフレスパイラルが進行した。 そうした経済情勢がやがて、幕末の開国圧力となっていったのである。
渡世の民が日本近世をつうじて形成した裏社会のありようを生々しく描き出してゆく。
【目 次】
〈はじめの章〉 宿命の民
三つの民俗
渡世の人々への哀切と
第一章 三つの民俗とそれぞれの思想
渡世民俗とは
神事民俗と農耕民俗
毒をもって毒を制す
人の力でできることとできないこと
「渡世」とは「滞世」の反意語
第二章 金銀と美女
美女を商う産業
美女信仰
第三章 基軸通貨と民俗共存
三つの二通貨体制
投資先のない社会システム
士農工商とのスミワケ
第四章 士農工商の境界
カタギとヤクザ
許されない「いいとこどり」
第五章 士農工商からの囲い出し
反倫理業種を取り扱う職業
美徳が悪徳になる人々
第六章 美女
美女は渡世の民から滞世の民へ移ることが可能
美女は一代かぎり
第七章 家の女とあばずれ
家が人の属性ではなく、人が家の属性
過酷な運命が精神を鍛える
渡世の民は何ごとも本人しだい
第八章 カタギのパトロン
精神の緊張をなくすと「あばずれ」に陥る
渡世の社会は徹底して男優位
女の保護管理から開放されたのが渡世民俗
第九章 男子の恋商い
男色は武家の日常行為
男の恋商いは稼働率が低い
第十章 反倫理の共犯
劇場化が男の恋商いを可能にする
恋の一点販売
「絵島生島事件」はなぜ断罪されたのか
第十一章 反倫理の体制補完
信心を必要としなかった渡世の女性たち
歌舞伎渡世集団は体制補完
第十二章 医の反倫理
なぜ医師の社会的地位がたかかったのか
不可能命題と禁止命題を商うのが渡世
第十三章 また貸しとまた借り
厳格だった土地取引と人別戸籍
「無宿」はどのようにして居住地を確保したのか
第十四章 無宿の居住権
無宿はトラブルの発生を何よりも恐れた
「無宿」はどんな無理無体にも屈服するしかない
第十五章 共犯なき反倫理―博打渡世と渡り鳥
士農工商に不法の片棒を担がせる
博打が「金銀転がし」のマネー・ゲームに変質
保たれた賭場の合理性
第十六章 勝負師の伝説
マネーゲームは反倫理の極み
賭博師には連敗が許されない
「負け上手」と「勝ち下手」
第十七章 任侠渡世と渡り鳥
素人下手が債務奴隷になる
家族は「家」を、擬似家族は「人情」を紐帯とした結合体
渡り鳥は個人主義の徹底
第十八章 力自慢
膂力に非凡な男の渡世稼業
「士農工商」の奉納相撲と「無宿」の相撲渡世
第十九章 相撲渡世
美女と力士
勧進相撲は民衆のガス抜き装置
相撲渡世集団の興行権の確立
第二十章 将軍上覧相撲
大名・旗本・富豪が相撲賭博に参加するために
将軍家と吉田司家との結合
吉田司家の横綱免許発行の意味
第二十一章 賭博の反倫理と超人思想の反倫理
横綱力士の非常設と非公式の慣習化
明治二十三年から相撲番付に横綱を記載
横綱の神霊は天皇に宿る神霊に直結
相撲賭博のパトス
第二十二章 超人のテクスト―不知火型手数入り
相撲興行から賭博の悪素が除外される
太刀山峰右衛門の不知火型手数入り
攻防兼備の雲龍型手数入りの意味するもの
不知火型手数入りの停止と復活
第二十三章 天皇神学と横綱神学
相撲渡世の神学はイデオロギーによる反逆行為
双葉山の雲龍型手数入りの意味
不知火型横綱の短命
反倫理の気骨
第二十四章 隠された十字架
横綱手数入りは超人思想の表明
相容れぬ組織の神と個人の神
〈おわりの章〉 逆しまの道
あとがき
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