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政治

ISBN978-4-88978-079-6

新川 加奈子著

四六判 232頁
定価(本体1,500円+税)

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カンボジア 今
ポルポトの呪縛は解けたのか

私が、なぜこの時期にカンボジアについての本を出版したのか。
現代のカンボジアの現実を少しでも明らかにし、「カンボジアの着地点」を追求しようとしたかったからである。
これには以下にあげる三つの理由がある。
一つ目は、約10ヶ月のカンボジア滞在中に「ポル・ポト時代を回顧し、懐かしむ人々がいる」ことを知ったことである。
彼らは決して特殊な階層でなく、一般市民であったのである。
現代史において「ポル・ポト時代」は、人権侵害に関して「人類規模の犯罪」であり、今なおその後遺症を持っているカンボジアで、白昼堂々と「ポル・ポト時代」を懐かしむ人々の会話は、耳を疑うものであった。
さらに、滞在中に「ポル・ポト派裁判の開始」に関しての大きな動きがあり(詳細は二章)、新聞やその他においていくつかの影響があった。 その中でも予想外の影響は、政府による「言論統制の動き」であった。
2005年末から2006年初頭にかけて、数人の人権保護活動者が逮捕されたのである。
観光ガイドが、外国人に話す内容でさえ、監視されているというウワサさえ広まった。
ポル・ポト派裁判では、すでに対象者が数人ほどになってしまった「ポル・ポト派」を、約40億円という費用をかけて裁くのである。
ましてやその資金の半分を日本が支出するとなると、関心を持たざるえない。
「ポル・ポト派」の説明を簡単にすると、正式にはポル・ポトを中心とした極左共産主義の革命組織であり、1975年から79年まで、カンボジアに「民主カンボジア」を誕生させ支配した政権である。
この間、原始共産主義化を徹底し、通貨の廃止、市場の廃止、都市住民の強制移住、音楽や舞踊の禁止、休日の廃止などが行われた。
多くの人々は、男性、女性、子ども別に集団生活を強制され、朝から晩まで農作業などの屋外作業に従事させられた。
体を動かして働くことだけが許され、さらに知識のあるものを対象に、約170万から200万の大量虐殺が行われたのである。
この数は、当時のカンボジアの人口の三分の一に相当する。
医師、教師、技術者などを中心に、眼鏡をかけているという理由だけでも処刑されたという。
1998年4月、ポル・ポト氏(本名サロト・サル)は73歳で心臓病によって死亡した。
その三週間前に、アメリカにおいて、「アメリカがポル・ポトを捕まえて国際法廷にかける方針」打ち出していた。2006年7月には、ポル・ポト政権の軍参謀総長であり、最強硬派として虐殺を主導したとされる、タ・モク氏が、プノンペンの病院で死亡した。
その二週間前に「ポル・ポト派裁判」に関する裁判官と検事の宣誓就任式が行われていた。
タ・モク氏はこの裁判において対象となる唯一の重要参考人であった。  
この事実は、単なる偶然なのであろうか?  
あまりにも「遅すぎる裁判」に対して、この裁判が行われたとしてもどの様な意味を持つのか疑問を持たざるえない。
また、この裁判で裁かれる事実に対して、誰がその罪を負うのか? 誰かが罪を負うことで、この様なおぞましい事件が二度と起こらないようにできるのか? 何も保証はない。  
二つ目は、裁判所との関わりを持つ経験をしたことである。
きっかけは、当時関係していたNGOの職員を解雇したことに始まる。
事務所の物品の私物化、領収書、見積書の偽造、外貨両替時の不正、などなどあまりにも不正が多い事務員の解雇を決断した時から、騒動は始まった。
規定どおりの給与と退職金を渡した二日後であった。
その彼女が、「現地代表の日本人にイスで殴られ、解雇された」と、現地NGOの会合や州保健局長などに言い始めたのである。
もちろん暴力を振るった覚えもなければ、イスを持った覚えすらない。
暴力を振るっていないことを見ていた職員たちが、このままでは「暴力が事実になってしまう」と大慌てである。
そんな訳で、職員の勧めで、警察へ行き、無実を証明し、逆に「被害届」を出した。
この騒動を完全に忘れかけていた数ヵ月後、突然、裁判所からの呼び出しを受けた。
呼び出し書には、用件名も理由も書かれていない。 ただ、「指定期日に出頭し、1000万円を支払え」とのものであった。
これが、現在のカンボジアの現実である。お上の権力は絶対であり、呼び出し理由は必要ない。
「一般市民でさえも、お金さえ出せば、警察の供述書も病院の診断書も偽造は可能である」という現実が、21世紀のカンボジアには実在している。
極左共産主義にとって変わった現実は、拝金主義である。
この騒動を通じて、カンボジアの現代社会について多くのカンボジアの若者と話す機会が持てたことは、不幸中の幸いであった。  
三つ目は、ツゥールスレン虐殺博物館の二階にある写真が、未だに私の頭から離れないことである。
その部屋へ訪れる観光客は少ない。 一階にある虐殺現場や収容所を再現した部屋には多くの観光者が訪れる。
展示室には、想像を絶する拷問を受け、殺害されていった人々の顔写真が、掲示されている。
最初に訪れた時は、人骨でカンボジアの地図が示されていたが、さすが近年、この悪趣味な展示は撤去された。
私の頭から離れない写真の場所は、一階ではなく二階の「加害者の証言の部屋」である。
拷問を加え、殺人を犯した人々が、顔写真入りで、当時の役割と近況報告をしているのである。 加害者と被害者が共に暮らす国の現実がここにある。  
カンボジアは、東南アジアの国の中で開発の遅れている国の1つであるために、現在、多くの国が援助をし、援助漬けになっている感が否めない国である。
また、残念ながらインドシナ半島に存在する国の中で、今後10年から20年間の間に一番発展の見込みが薄い国でもある。
2008年からインドシナ半島を縦貫するに高速道路建設が発表された。
この道路が建設されることによって、遅れているインフラ整備の拡充が期待され、多くの外国からの民間投資の可能性を生み出す。
しかし、東はタイ、そしてラオス、西はベトナムを縦貫する予定であり、カンボジアには恩恵が見込まれない。
ポル・ポト政権以降、1990年代まで中国、アメリカそしてタイなどの思惑の中で、混乱状態が続き、21世紀になってようやく、政治的にも社会的にも安定をし始めた国である。
戦後の日本が歩んできたように、少しずつ開発の手が伸び、市民レベルの意識も少しずつ変化することが理想であるのに、21世紀のIT 化を代表とするグローバリゼーションは、アンバランスな開発を余儀なくさせている。
大量消費社会の到来を錯覚させるような極端に多くの情報量が、彼らの目の前に押し寄せてくる。
テレビ、パソコンから得られる多く世界中の物に関する情報と現実に得られる給与との格差は、あまりにも大きい。そして世界中が関心を持っている情報を理解するには、彼らの教育レベルはあまりにも低い。 しかし、多くのカンボジア人はその格差を実感できていない。
ポル・ポト政権が終わって30年余、今、彼らの着地点は、どこにあるのか? 
本書では、約3年間NGO活動を通じてカンボジアとの関わりをもち、昨年は約10ヶ月間、観光都市シェムリアップに、NGO現地代表として国際援助活動した筆者が、実際にアンケート調査した結果や現地にて得られた資料を元に、カンボジアの現実と将来を見つめる。
本書は、学術書の様な難しい内容ではなく、旅行のガイドブックでは、少し物足りない方のためのものである。
どうせ訪れるならカンボジアの現実を知ってみたいという方、また、ポル・ポト派裁判に少しでも関心のある方を対象にしたつもりである。
というのは、約10ヶ月間の滞在の中で、仕事上、シェムリアップの飛行場への迎えに何度となく足を運んだが、観光に来られる日本人の多くは、中高年齢者であり、買い物目的というよりもカンボジアの文化を体験しに来る方が多かった。
また、町やホテルで出会う日本人観光客は、カンボジアに何らかの思い入れ持ってきている方が多かったのである。 その様な方々に、手にとっていただくと幸いである。